いつだったか、テレビで評論家か誰かが、「幸せに見える家庭ほど、失う幸せも多いものだ」と話していた。なるほどな、と思った。
オレのように、子供の頃をどん底に近い状態で過ごしていると、その後の人生で経験する、ちょっとした良いことが、えらく幸せに感じられることがある。もちろん、幸せを感じるために不幸を経験したわけじゃない(笑)。ただ、人間というのは、過去にどんなものを見てきたかで、幸せの感じ方もずいぶん違ってくるものだと思う。
子供の頃に、不和な家庭で育つというのは、やっぱりキツイ。子供には家庭を選べない。親が喧嘩をしていても、家の中の空気が悪くても、そこから逃げることは簡単にはできない。大人には大人の事情があるのだろうが、子供にはそんなことは分からない。ただ、その場にいるしかない。そして、子供は大人の前では無力だ。自分の力で状況を変えることもできないし、親に向かって「もうやめてくれ」と言うこともできない。何年もそんな状態が続けば、心が萎えてしまうのも無理はない。自分は何をやっても仕方がない。どうせ自分には何も変えられない。子供の頃に身についたそんな感覚は、大人になっても、意外と残っているものだ。でも、大人になれば少し事情が変わる。
自分で働いて、自分で金を稼いで、自分で住む場所を決める。付き合う人間も、自分で選べる。子供の頃にはできなかったことが、少しずつできるようになる。それだけでも、けっこう大きなことだと思う。過去を変えることはできない。あの頃、こうだったらよかったのにと思っても、時間は戻らない。だったら、いつまでも過去にこだわっていても仕方がない。もちろん、簡単に割り切れるものでもない。嫌だったことは嫌だったし、傷ついたことは傷ついた。それを無理に「いい経験だった」なんて言う必要もないと思う。ただ、それだけを抱えて生きていくのも、ちょっともったいない。過去の不幸をずっと見つめていると、目の前を通り過ぎていく小さな幸せに気づかないことがある。

朝、天気がいい。
うまいものを食べる。
好きな音楽を聴く。
気の合う人間とくだらない話をする。
仕事がひとつ片付く。
そんなことで十分な日もある。
人生の意味なんて、最初からどこかに用意されているものじゃないのだろう。自分で生きながら、自分で見つけていく。子供の頃には無力だったとしても、大人になった今は、少なくとも自分の足で歩くことができる。だったら、これから先のことくらいは、自分で決めていけばいい。過去に何があったかより、これから何をするか。
結局は、そういうことなんだろうなぁ。
