文科系女子を口説く前に読むBlog


cultural girl・文科系女子……翔ぶ!

独身の頃「親しい」知り合いに某有名大学の図書館で働く女子がいた。

待ち合わせをしては、ちょっとお洒落な街の店で酒を飲むという週末。

ある日、名古屋で当時人気のあったテレビのローカル番組の「美女探し」
みたいな企画に、四谷通りを歩いていた彼女とオレが捕まった。

軽い下ネタに、軽いボケとツッコミ。
普通なら、ここで笑って終わるはずだった。

ところが、彼女にはまったく通じない。

・・・笑わない。困りもしない。

なぜなら彼女こそ、筋金入りの「文化系女子」だったからだ。



たとえば昼休みの教室。

女子グループがいくつかに分かれて、けたたましい笑い声を上げている。その片隅で、文化系女子はひとり、文庫本のページをゆっくりめくっている。

別に人間が嫌いなわけじゃない。
コミュニケーションが苦手なわけでもない。

ただ、話を合わせるのが……かったるい(笑)。

文化系女子が愛するものには、独特の匂いがある。

金子國義、中原淳一、オスカー・ワイルド。

真夏の太陽のような健康的な明るさとは、どうも縁がない。
むしろ冬空に浮かぶ三日月のような、冷たくて、少し妖しい光だ。

ひとりで過ごす時間が長かったぶん、好き嫌いの嗅覚だけは妙に鋭い。

みんなと同じものを好きになる必要もない。
みんなが嫌うものを、ひとりで面白がっていることもある。

その「人と群れない潔さ」こそ、文化系女子の魅力なのだと思う。

……もっとも、その潔さが本人を生きづらくすることもある。



世の中は、どうしたって多数決で動く。

少数派の感覚や、ちょっとフェティッシュな趣味は、「変わってる」の一言で片づけられる。
周囲に理解されなければ、自分の好きなものまで嫌いになってしまう。

肥大した自意識を持ちながら、その自意識に後ろめたさまで感じている。

それが文化系女子……なのかもしれない。

だから、どんなデンジャラスな感覚を持っていたとしても、せめて自分だけは自分を肯定してやってほしい。

自分自身に忠実に生きる。

言葉にすれば簡単だが、これがなかなか難しい。

なにしろ時には、ちょっと反社会的で、ちょっと非道徳的だったりする(笑)。

見た目はおとなしく、どちらかといえば優しそう。
ところが中身は「私は私」である。

その落差に、付き合う男はときどき後ずさりする。

それでも、何かの間違いで「文化系女子」あるいは「文化系婦人」とお付き合いすることになったら、
男の側にも最低限の予備知識は必要だ。

たとえば、「太宰の情死」と「尾崎翠の世界」くらいは、押さえておいたほうがいい。

知ったかぶりで話を合わせようとしても、たぶんすぐバレる。

彼女たちは流行の小説を何冊読んだか、なんていう薄っぺらい読書量ではない。
興味を持ったものを勝手に掘り下げ、こちらが知らないところまで、
とっくに行っている。上げ底は、すぐ見破られるぞ。



尾崎翠なんて、戦後になって再評価されながら、本人は執筆を固辞し、
1971年に老人ホームで亡くなった伝説の作家である。

……なんてことを、酔っ払いながらでも語れるようになっておけばいい。

もっとも、そんな予備知識を身につけたところで、文化系女子に気に入られる保証はない。

なにしろ相手は、こちらが一冊読む間に三冊読んでいる。

そして、たぶんその三冊も、オレたちが知らない本だ。

だから最後に、オレの経験から一言。

文化系女子は、口説くものではない。
まず、読んでから出直せ(笑)。


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