連休や週末になると、あの頃の遠距離恋愛を思い出す・・・
という方も少なくないはず。
新大阪vsシンデレラエキスプレス
新幹線のホームで別れを惜しむ恋人たち。動き出す車両、いつまでも手を振る姿。
あの頃は、会いたい人に会うだけでも、なかなか大変な時代だった。
シンデレラエキスプレスなんて言葉もあった。
新幹線で帰っていく恋人を見送る。まるで映画のワンシーンのようだが、
現実には新大阪のホームで、次に会える日を指折り数えながら、ひとり寂しく帰るわけである。
恋愛というものは、なかなか面倒くさい。
「遠距離恋愛」という言葉に明確な定義はないらしい。本人が遠距離だと思えば、
たとえ隣町でも遠距離恋愛。要するに、距離の問題というより、
会いたいときに会えないことが問題なのだろう。
心理学的にも、離れて暮らす恋人同士には、こまめな連絡を取り合い、
心の距離を遠ざけないことが大切だという。
そりゃそうだ。
ただ、男というものは、連絡が少々途絶えても、案外平気だったりする。
少なくともオレはそう思っている。ところが、相手はそうでもないらしい。
好きなら好きと言ってほしい。寂しいなら寂しいと言ってほしい。
会えないなら、せめて声くらい聞かせてほしい。
ごもっともである。
しかし、こちらにも都合がある。仕事もあれば、付き合いもある。
電話を一本入れるだけのことが、なぜか億劫になる日もある。
そうして、こちらは「忙しかった」で済ませ、相手は「大切にされていない」と受け取る。
同じ恋愛をしているつもりでも、見ている景色はずいぶん違うものだ。
もちろん、そんなことを繰り返していれば、やがて心の距離まで遠くなる。
距離のせいにしたくはないが、離れていることが言い訳にもなれば、別れる理由にもなる。
それでも、「会えない時間が愛を育てる」なんて言葉を信じて、何年も頑張る人がいる。
健気なものだと思う。
そして、ようやく念願が叶い、二人は一緒に暮らすことになりました。
めでたし、めでたし。
新大阪
シンデレラエキスプレス
……と、物語ならここで終わる。
ところが、人生というのは、エンドロールが流れてからも続くのである。
毎週末、何時間もかけて会いに行った恋人が、いつの間にか隣でテレビを観ている。
あれほど待ち焦がれた声が、いまでは「ちょっと醤油取ってくれる?」に変わる。
いや、別にそれが悪いわけではない。
むしろ、それこそが幸せというものなのだろう。
ただ、遠く離れていた頃には、次に会える日を考えるだけで胸が躍った。
電話一本で一日が幸福になり、別れ際の数分が、いつまでも記憶に残った。
一緒に暮らすようになれば、会えることは当たり前になる。恋愛が生活に変わる。
夢が現実になるというのは、そういうことなのかもしれない。
人間というのは勝手なもので、手に入らないものを追いかけているときには、
あれほど一生懸命なのに、手に入ってしまうと、今度は別のことを考え始める。
だからオレは思うのだ。
幸福になりたいと願っている時間が、じつはいちばん幸福なのではないか、と。
夢が実現しそうで、まだ実現しない。会いたい人がいて、次に会える日が決まっている。
寂しいけれど、希望はある。
そんな「若干不幸」な状態が、案外、人生でいちばん贅沢な時間だったりするのではないか。
もっとも、遠距離恋愛の真っ最中に、そんなことを言われても困るだろう。
「だったら、あんたが新大阪まで迎えに来なさいよ」
ごもっとも。
やっぱり、恋愛は理屈じゃない。
恋人たちの夢を乗せて走る新幹線、それとも、なかなか手に入らない幸福を、
いつまでも追いかけさせるために走っていたのか。
いま思えば、なかなか罪な乗り物だった。
